
先輩移住者の体験談
【田舎ぐらし】地域に溶け込んで、楽しく田舎暮らし~美咲町・田中さんご夫妻~
田中章介さん、佳美さんご夫妻

- 移住形態:
- Iターン
- 移住時期:
- 1996年10月(章介さん)、1998年4月1日(佳美さん)
- 前住所:
- 神奈川県
- 現住所:
- 美咲町
- 現在のお仕事:
- 水彩画家(佳美さん)
きっかけ
移住する前はソニーで電子工学の技術関係の仕事をしていました。田舎暮らしを考えはじめたのは、バブルの真っ最中から陰りが見えてきた頃です。今日よりも明日、業績を上げないといけない右肩上がりの競争社会にすっかり疲れており、周囲もそういう社会から逃れたいという雰囲気がありました。
しかし、会社をやめてどうやって生計を立てていくか、子どももまだ大学に通っていましたし、そのことが足かせとなり、誰もが会社をやめることに躊躇していました。ちょうどバブルの終わりかけの時期に退社優遇制度というものがあり、私は周囲の人間が踏み出せずにいたところ、ようするにタイミングを図っていて、そのタイミングにのった形で田舎暮らしを決意しました。
旭町(現美咲町)を選んだ理由は、当時父親が大阪に住んでいたので、大阪周辺の奈良や三重あたりで手頃なところを探していたのですが、大阪周辺には「田舎」がなかったのです。その点、中国地方は割合と「田舎」で、非常に安く広い土地が売られていたので、ほとんど衝動買いで、佳美さんの許しもなく一山買ってしまいました。(笑)
利用した制度
定住者を優遇する制度がないか、色々調べてまわりましたが、以前はあったが、成果が得られずやめたというところが多く、利用した制度はありません。
現在の生活パターン
(ご主人)
父親が病気をしている関係で、今は仕事をお休みしています。
移住したての頃、ちょうど旭町で町のプロバイダを立ち上げる事業があり、チェリーネットのプロバイダサーバーを立ち上げました。
また、ロボットを作るなどの技術関係の仕事をしていたので、移住した当時は、高専や工業学校で講演などしていました。
(奥様)
水彩画家をしており、県内各地で展覧会を開催したり、地域で水彩画を教えています。
苦労したこと
最初の3年ぐらいは言葉が分からなくて苦労しました。地域の寄合が多く、特に年配の方の言葉は単語がそもそも違い、何を言っているか全く分からず当初は孤立感を覚えました。しかし、今ではすっかりなじんでしまっています。
それ以外は、車とパソコンがあればおおかた困ることはありません。
移住してからは考え方が変わりました。まちに行ったらあらゆる用事をいっぺんに済ませるように、段取りを考えるようになりましたし、ご飯を作るときも季節の地のものを使って、今日あるもので献立を考えるようになりました。また、足りないものは近所からもらって間に合わせます。
田舎暮らしで一番欠かせないのは通信手段です。パソコンは東京の友人との連絡、買い物をするのに必需品です。
困っていることは、都会のように気軽に飲みに行けないこと、点検のため停電がしょっちょうあることぐらいです。
UIJターンを考えている人へのアドバイス
UIJターンをする人の中に、都会のイメージをそのままひきずってくる人がいます。例えば、権利を強く主張したり、白黒はっきりつけたがる人がいますが、そういう人は地域で摩擦を起こしやすいと思います。「郷にいれば郷に従え」の精神で、田舎にあっては、なによりも信頼関係を大切にするべきだと思います。
そういう意味で、人間好きでないと田舎暮らしは向いていないと思います。都会での人間関係がいやで田舎に来る人がいますが、そういう人は田舎に行ってもうまくいきません。なぜなら田舎の方が人間関係が濃密だからです。
私たちは、田舎の「知らない人がいない」ということにとても安心感を覚えます。隠し事がないのが心地よく、地域が家族のようです。
絵描きとして活動するのに、田舎暮らしは非常に合っていると思います。邪魔がなく絵が描けるということ、東京まで2時間ほどで行けるということ、ものをつくりだす職業の人にはお勧めです。
アドバイスとして、人を巻き込まず一人で楽しめることがあるといいと思います。それはより楽しく田舎暮らしをするための免許のようなものですね。